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藤木伝四郎商店前代表 藤木浩一

Meister職人

藤木伝四郎商店前代表 藤木浩一

Koichi Fujiki

「時代のニーズに応じて製品も変わります。
樺細工の工法と産地を守ることが、「伝統」を継承するということなのです。」

研鑽を積んだ職人の卓越した技術が光る総皮茶筒。

6代目当主として経営指揮を執る中で気付いたこと

藤木伝四郎商店の創業は1851年、私はその6代目にあたります。樺細工は武士の手内職として発展してきたものですが、弊社は主に樺細工の産地問屋として商いを行ってまいりました。メーカー機能をもつようになったのは1976年から。その年に5代目が雲沢工場を設立し、自社製品の製造や職人へ製作の依頼をするようになったのです。現在、職人の数は産地全体で50名程度。創成期で200名以上おりましたから、だいぶ減ってきていますね。樺細工は角館が唯一の産地ですし、他の伝統工芸品の産地と比べても、生産額や従事者人数は少ない方だと思います。

大学を卒業後、百貨店に就職をして、藤木伝四郎商店に入社をしたのは1989年。私は百貨店出身ですから、日本の販売ルートは百貨店が一番であると当時は感じていて、いろいろと営業に出向いたのです。そうした活動の甲斐があってか、2005年に売上のピークを迎えました。しかし、それと同時に国内市場の閉塞感も漂い始めていて、新製品の開発や新しいマーケットの開拓、海外進出を視野に入れた動きをしなければならないと考えるようになっていたんですね。そうして2005年に「つぼつぼ」シリーズを発表。赤や黒の塗装を施した茶筒につぼつぼ紋と青貝の花びらをあしらったもので、ご好評をいただいたのですが、民芸調の域を出ることができなかったのです。現代の暮らしを想定すると、多少の違和感を感じるなと……。

店舗を訪れたお客様の反応をスタッフから聞くのも大切な仕事です。
毎月、東京のメンバーが角館を訪れ、密な打ち合わせを重ねます。

新たな一歩を踏み出す、デザイナーとの出会い

そして2008年にリーマンショックが起き、弊社も打撃を受けることとなりました。これまでも自分たちで懸命に試行錯誤を重ねてきたものの、デザイナーを使うでもなく、コンテンポラリーなものづくりを行えていなかったのです。結局は私どもも職人。自分で樺細工をつくることはありませんが、技法も理解していますし、職人的な感覚から脱することができていませんでした。そんな中、2009年にデザイナーの山田佳一朗さんとインテリアライフスタイルで出会い、意気投合。熱心な方だなと感じましたね。それで一緒に取り組みを始めることになったのです。

山田さんには「山桜の皮を全てに使わなくて構わないので、現代的な茶筒を」とお願いしました。都会のマンションに馴染むようなデザインです。そうして提案されたのが「輪筒」。最初の図面を目にしたとき、直感的にいいなと感じましたよ。ただ、工法が難しいという懸念もありました。理屈上は問題ない。しかし樺細工の特性から、果たしてうまくいくのだろうかと。1本の木型でつくるからこそ、高い密閉性が確保されているものでしたからね。だからといって、輪切りにせずそれぞれの樹皮を張り付けていくのなら、樺細工でなくてもできてしまう。外芯を輪切りにし、組み替えていくという、樺細工独自の技法「型もの」をいかした設計に意味があるのです。

現代の暮らしに溶け込む「輪筒」。密閉性もしっかり確保されてます。
「メゾン・エ・オブジェ」出展ブースも山田佳一朗さんがデザイン。

新製品開発、海外進出……変わることで樺細工を守る

「伝統」と「伝承」という言葉がありますね。私どもは時代のニーズに合わせて製品なり販売の仕方なりを変えていき、樺細工の産地を守ることが伝統であると考えています。その想いは「輪筒」にも込められていて、新しい製品ではありますが、樺細工の工法を踏襲しているんですよ。例えオーセンティックな製品が売れなくなったとしても、「輪筒」がある限り職人の仕事は続いていくはず。伝承、つまり全く同じデザインの茶筒を100年売り続けたいとは思っていないのです。いくら優れた製品でも恐らく無理でしょう。そこは変えなくてはいけないところ。逆に変えてはいけないことが工法です。樺細工にしかできないことですから。

2009年からフランス・パリで開催されている国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」に出展をし、パリの「クリスチャン・ディオール」での販売や、シルバーウエアの老舗「クリストフル」とのコラボレーションなども行っています。有り難いことに、海外展開の割合も増えてきている状況ですね。ヨーロッパは特に、樺細工の価値を認めてくれる文化が根付いているなと感じています。樺細工の産地は、日本のみならず世界でも角館だけ。もっともっと頑張って、グローバルスタンダードになることを目指しています。価値を上げ、後継者が育つ環境を整えていかなければなりません。伝四郎だけが残っても、産地はいずれ失われてしまいます。同業他社の方々と切磋琢磨をしながら、樺細工の産地を守っていきたい。うちは少しだけ、先頭を走っていられればいいのかな、という気持ちですね。

伝四郎とクリストフルによるコラボレーション製品。

Koichi Fujiki

コンテンポラリーなデザインの樺細工の製作、海外のマーケットへの進出……。
それらはすべて、樺細工の産地を守るためのこと。
先人が築き、発展させてきた伝統を次の世代へ受け渡すため、藤木伝四郎商店は歩を進めます。

藤木浩一(ふじき・こういち)

藤木伝四郎商店前代表

藤木浩一(ふじき・こういち)

1962年秋田県仙北市角館町生まれ。明治大学経営学部経営学科を卒業後、西武百貨店勤務を経て、1989年に藤木伝四郎商店に入社。2001年に同社代表取締役社長に就任し、6代目を務める。2015年9月9日他界。